続・一寸の馬鹿にも五分の魂

前回の文章で、「賢者」にもなれず、「無思考の愚者」にも「同調指向の愚者」にもなれない究極の愚者を、僕は『馬鹿』と呼んだ。読解力があれば、僕が『馬鹿』と呼ぶ対象が僕自身だと解るだろう。僕は『馬鹿』であることを自覚している。 … “続・一寸の馬鹿にも五分の魂”の続きを読む

一寸の馬鹿にも五分の魂

友人が「世の中は20%の賢者と20%の愚者、そして60%の同調者で成り立っている」と言った。この比率を検証してみたいと資料を探してみたところ、下図のようなものがあった。 「賢者」が敵意を持って他者を攻撃した場合、正当な理 … “一寸の馬鹿にも五分の魂”の続きを読む

ひきつづき偽善についての考察

前回の「宗教は善意の詐欺か」で採り上げた、キリスト教福音派と論戦を交えた人の感想に、「大抵の相手はあまりにも善人で(進化論攻撃以外では)ぼくよりもずっと高潔な人で、矛先が鈍る」とあった。僕の関心は、キリスト教福音派の人た … “ひきつづき偽善についての考察”の続きを読む

宗教は善意の詐欺か

彼は詐欺師であるが、富豪しか狙わない。彼の詐欺は必ず成功し、巨万の富を富豪から奪うが、富豪が富豪であり続けることを損なうほどの富は奪わない。しかも富を奪われた富豪も、その代わりとして経済的な力では手に入らないものを得るの … “宗教は善意の詐欺か”の続きを読む

BBS時代人のSNS観

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したと … “BBS時代人のSNS観”の続きを読む

存在しない映画のスチル写真

かつてここにも書いた話だけれど、大学に入った翌年の1977年の冬、僕は東映大泉撮影所で開催されたぴあ展に行った。この頃には漫画家を目指して入った大学の漫画研究会にも顔を出さなくなり、上智や日大などの学生たちに混じって映画 … “存在しない映画のスチル写真”の続きを読む

デジタル作画の楽しみ方

これは僕が描いたものだけれど、デジタル作画環境を手に入れてからの僕の創作は、自分で描いたものをデータとして扱い、それをコラージュして情景を作り上げる、という手法に変わっている。したがって、この絵に登場しているものの中には … “デジタル作画の楽しみ方”の続きを読む

「価値」と「意味」を司る主観

僕がFacebookに投稿した記事への他者からのコメントに、「客観的価値」「主観的価値」という文言が使われていた。ここでは、このFacebookでの議論とは別に、そもそも「価値」ってなんだろうという素朴な思いから思索をす … “「価値」と「意味」を司る主観”の続きを読む

有意義な時間を過ごすために

62歳になって時々考えるのは、やはりあと何年生きているれるか、という余命についてである。医師から病気による余命宣告が無くても、生物としての僕の寿命は統計的なデータから予想できる。運良く自然死を迎えるにしても、62歳という … “有意義な時間を過ごすために”の続きを読む